1.乾邸について


c 「阪神間のお屋敷文化」最後の華 旧乾邸探訪記
1.旧乾邸のあるまち − 住吉について −
 六甲山系の南麓の歴史は古く、江戸期には大阪湾臨海部がいわゆる灘五郷として清酒の一大産地として栄えた。 豊かな経済力を背景に、特色のある地域文化が形成されてきたことで知られる。
 また、明治に入って、大阪・神戸間に鉄道が開通すると、やがて大阪と神戸に近い地の利と豊かな自然環境から、 大阪を中心として名だたる実業家達が注目し、住吉村やその周辺の御影町、本山村にこぞって暮らすようになった。
 住吉村に居を構えた財界人の顔ぶれを見ると、住友吉左衛門友純(住友家15代)、弘世助三郎(日本生命)、 田代重右衛門(大日本紡績)、武田長兵衛(武田薬品)、野村徳七(野村證券)、野村元五郎(野村銀行)、 武藤山治(鐘紡)、大原孫三郎(倉敷紡績)、平生シ三郎(川崎造船所)など。そのため昭和初期の住吉村は 「日本一の長者村」と呼ばれていた(芦屋六麓荘が高級住宅地として名が知られるようになるのは戦後のこと)。  これらの邸宅は、多くは千坪単位の広大な敷地を有し、東西の名棟梁や建築家の手による水準の高いデザインの 和風や洋風の建築であった。→アルバム8

2.旧乾邸への道のり
 阪急御影駅から北へ、深田池を左に見て歩みを進める。区画整理事業で様相が一変した阪急神戸線以南とは異なり、 御影駅の北側は狭い目の道幅、御影石を積み上げた外構、そして豊かな屋敷林という、典型的な住宅地の景観が健在 である。耳を澄ませば側溝を流れる伏流水の水音。かつて川筋に水車小屋が建ち並んだ地域ならではの、音の風景だ。 →アルバム8
 玉石積みの塀が残る御屋敷跡を過ぎてしばらくすると、細身のタイルを積んだ塀が続く。塀がカーブを描いて内側 に引いていき、その奥に石積の門柱が立つ。表札は外された跡にはモルタルが塗りこめられている。そこが旧乾邸で ある。→アルバム1

3.「伊太利亜復興式」の外観
 住吉・井出口の地に昭和11年に完成した旧乾邸は、茅渟の海を見下ろす赤塚山麓の千坪の敷地に、近世 ルネッサンス様式を下敷きとした18〜19世紀の英国貴族の住まいである「カントリーハウス」の流れを汲む洋館と、 数奇屋風の和館が併設された大邸宅であった(和館は阪神淡路大震災で損傷し、解体・撤去されて現存しない)。
 分厚い木製の門扉を開ける。砂利の敷かれたアプローチにそった生垣を抜け、前庭より洋館を眺める。邸宅外観は、 中央にベイと呼ばれる張り出しを設け、その東側に居間、西側には和室を置き、瓦葺き寄棟の大屋根を架ける。そして、 東端と中央に立ち上がった鉄筋コンクリート造化粧煉瓦タイル貼の煙突がアクセントとなっている(東側は居間の 暖炉用、中央は地下機械室のボイラー用)。→アルバム1
 再びアプローチに戻り歩いていくと、庭木の間から目の前に竜山石の列柱が整然と並ぶ「車寄せ」が現れる。 玄関があるこちら側が正面ということになる。南面と同様、外壁の仕上げに竜山石がふんだんに用いられていること もあって、イタリアのルネッサンス期の建物を思わせる。→アルバム2
 南側は門扉が閉まっていると高い塀に阻まれて見えにくいが、北側は塀越しでもその様子を見渡すことができる。 細身のタイルを貼った塀と、この北側のファサードは、いまやこの地域に欠かせない景観である。

4.近世英国式を基調にした玄関・階段ホール・居間の意匠
 タイル細工の壁画のある玄関の風除室から内部へ足を踏み入れると、チーク材をふんだんに用いることで重厚さを 感じさせつつ、随所に施された彫刻や天井の漆喰装飾などが華やかさを添えるホールや階段周りが迎えてくれる。 →アルバム3
 1回東側の居間は、2階建分の高さを持ち、南側に設けられた大きなガラス窓から注ぐ光が、ジャコビアン・スタイル (注)の意匠が施されたインテリアを照らす。部屋の三方を1階分の高さのある腰板がめぐる。東側の壁の中央には、 本格的な洋風住宅では欠かせない、大理石でできた焚口と葡萄の木などが彫られた木製の装飾をもつマントルピースが どっしりと構える。かつてその中央には、神戸ゆかりの洋画家・小磯良平の婦人画が掛けられていた。
 北側には2階の廊下にいたる階段がある。その金属製の手すりは植物をモチーフとした繊細なラインが特徴である。  マントルピースの装飾の付け柱、そして玄関ホールの階段親柱は下すぼまりのシルエットをしている。また居間から 他の部屋への各出入口の両脇の柱に、布を束ねた様子を模した「リネン・フォールドパネル」と呼ばれる装飾が施され ているが、これらはジャコビアン・スタイル(注1)特有のものといわれる。→アルバム4
 一方、居間をはじめとする天井の周囲を飾る、植物をモチーフとする左官仕上げの装飾はアダム・スタイル(注2) を基調としたデザインとなっている。

5.生活の場としての心遣い −食堂・和室・夫人室など−
 豪奢な居間から一転して、その隣、建物の中央部に置かれた食堂は、天井の漆喰装飾などは同じジャコビアンながら、 小さくまとまった印象を与える。食堂西隣の2室は、かつてあった和館とのつながりを意識した和風でデザインされ、 特に一番西側は畳敷の和室となっている。
 廊下に出て玄関ホールに戻り、祭りでにぎわう安芸の宮島を織り込んだ巨大なタペストリーを見上げながら、コの字型 に廻り込む階段を上がって2階へあがる。
 2階は生活の場にふさわしく、食堂の上階に当たる夫人室、そして西側の寝室には北側の壁一面に収納棚が設けられ、 住み手の使い勝手を意識した設計となっている。ともすれば豊かな装飾に目を奪われがちであるが、渡邊節は設備面でも 合理的な設計を心がけたことでも知られ、旧乾邸でも循環式暖房機と外気取入口を合わせることで、効率的な空調が できるようになっていた。
 東側のサンルームでは三方に大きなガラスの開口が取られ、西側の壁は一面大理石貼で仕上げられており、モダンな 雰囲気が漂う。一方、壁の中央の欄間のガラスには乾家の家業である海運に因んだのか白波の透かしが入れられ、 その両側に設けられた空調の噴出口は雲をモチーフにデザインされるなど、和風の隠し味が利いている。 →アルバム5

6.むすび
 旧乾邸は、意匠的にはイギリスのカントリーハウスがその源であるといわれているが、単純な西洋建築の模写ではなく、 設計は尺貫法で行われ、間取りに和風を取り込など、日本人のための住まいとしてのデザインがなされており、明治初期 以来の日本の邸宅建築のひとつの到達点を示す貴重な実例である。
 同時に、戦前日本を代表する建築家・渡邊節の、竣工当時の様子をもっとも良く留める非常に数少ない住宅作品でも ある。

(注1)
18世紀初頭のジョージW世の時代にその源を発する、インテリア意匠の系統をいう。
(注2)
18世紀に活躍したイギリス人建築家ロバート・アダムが盛んに用いたことに因む様式名。アダムはフランス、ついで イタリアでルネッサンス期の建築を学び、帰国後、新古典主義の建築家の一人として大成。優れたカントリーハウスを 多く手がけた。

参考文献
1) 『「住吉山手の洋館・旧乾邸の活用を考える」シンポジュウム・坂本勝比古氏基調講演 記録』(「住吉山手の洋館 乾邸」 旧乾邸活用応援倶楽部 平成16年 所収)
2) 「日本の洋館 第6巻」藤森照信著 増田彰久:写真 講談社 平成15年